大判例

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和歌山地方裁判所 昭和46年(レ)7号 判決

控訴人(原告)

打越義朗

外二名

右三名訴訟代理人

新谷啓次郎

被控訴人(被告)

打越正男

右訴訟代理人

野本豊

主文

1  原判決を次のとおり変更する。

2  別紙目録記載の建物につき控訴人らが持分各三分の一の割合で所有権を有することを確認する。

3  控訴人らのその余の請求を棄却する。

4  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二分し、控訴人らと被控訴人の折半負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、控訴の趣旨

1  原判決を取消す。

2  別紙目録記載の建物につき、控訴人らが所有権を有することを確認する。

3  被控訴人は控訴人らに対し、右建物を明渡せ。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二、控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴は、これを棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二、当事者の主張

一、請求原因(一)1本件建物の所有権に基づくもの

(一)  別紙目録記載の建物(以下本件建物という)は、もと亡打越松之助(控訴人ら及び被控訴人の祖父)の所有で、現在も登記上同人名義となつているものであるところ、控訴人らの父である訴外亡打越寿美夫は昭和一六年三月一三日訴外松之助から、これが贈与を受け、その所有権を取得した。

(二)  仮に右の所有権取得を被控訴人に対して対抗できないとしても、右寿美夫は、右贈与によつて所有権を取得したものと信じ、昭和一六年三月一三日から昭和二七年ころまでは訴外岡本重治を、その後は被控訴人を占有代理人として、本件建物について平穏公然に占有を継続してきたものである。そして右占有の開始のとき善意でありかつ過失がなかつたので、一〇年を経過したとき即ち昭和二六年三月一三日に時効が完成し、本件建物の所有権を取得した。仮りに悪意、もしくは善意なるにつき過失があつたとしても、二〇年を経過した昭和三六年三月一三日に時効が完成し所有権を取得した。

(三)  訴外寿美夫は昭和四三年九月三日死亡し、同人の子である控訴人ら三名が、平等の割合をもつて右寿美夫の本件建物所有権を共同相続した。

(四)  控訴人らは、昭和四五年一〇月六日の本件口頭弁論期日において(二)の時効を援用した。

(五)  被控訴人は、昭和四二年ころから、本件建物は自己の所有であると主張し、これに居住し占有して今日に至つている。

(六)  よつて控訴人らは、本件建物が控訴人らの所有であることの確認とともに、被控訴人に対し、本件建物の明渡を求めたところ、原判決がこれを容れなかつたのは不当であるから、控訴の趣旨のとおりの判決を求める。

二、請求原因に対する認否

請求原因第(一)項のうち、生件建物が訴外亡松之助の所有であつたこと、及び現在登記簿上同人の名義であることは認めるが、その余は否認する。

同第(二)項のうち、被控訴人が昭和二七年ころから本件建物を占有していることは認めるが、その余は否認する。

同第(五)項は認める。但し被控訴人は昭和三一年六月ころから所有の意思をもつて自主占有しているのである。

三、抗弁

(一)  控訴人らは、その所有権を第三者たる被控訴人に対抗できない。

仮りに控訴人ら主張の贈与があつたとしても、これに基づく所有権移転登記がなされていない以上、右贈与による所有権取得を、民法第一七七条にいわゆる第三者に対抗できない。しかるに被控訴人は左記事由によつて右にいう第三者にあたるので、控訴人らはその所有権を被控訴人に対抗できない。

1 訴外松之助は、昭和一三年二月一日、法定の届出により隠居したので、家督相続人たる被控訴人の父打越喜之助が家督相続により右松之助から本件建物の所有権を承継し、右喜之助は昭和三九年一一月六日死亡したので、その子である被控訴人外六名が平等の割合で本件建物を共同相続したものである。

2 また被控訴人は、昭和三一年六月頃、右松之助から本件建物を贈与され、その所有権を取得した。

(二)  被控訴人は本件建物を時効取得した。

仮りに右(一)の抗弁が成立しないものとしても、被控訴人は、右(一)の2の贈与によつて自分の所有になつたものと信じて昭和三一年六月ころから平穏公然に本件建物の占有を継続してきたものである。そして右占有開始のとき善意でありかつ過失がなかつたから、一〇年を経過した昭和四一年六月ころ、時効完成により本件建物の所有権を取得したものであり、昭和四五年八月一〇日の本件口頭弁論期日において、右時効を援用した。

四、抗弁に対する認否

抗弁(一)の1は認める。同(一)の2は否認する。

同(二)のうち、被控訴人が昭和三一年六月以降本件建物を占有していることは認めるが、その余は否認する。

五、再抗弁

抗弁(一)に対し

(一)  訴外松之助は、隠居に際し、本件建物その他の財産の大部分を事実上留保していたところ、昭和一六年寿美夫に対し留保財産たる本件建物を贈与したので、贈与者として右寿美夫に対し登記手続をなすべき債務を負担するに至つた。しかして右松之助は昭和三二年九月二〇日に死亡し、前記喜之助外数名の子が共同相続人となり、更に抗弁(一)の1のとおり被控訴人が右喜之助を相続したので、順次右松之助の負担する贈与者としての債務を相続し承継したことになる。従つて被控訴人は民法第一七七条の「第三者」たり得ない。

(二)  仮りに右主張が認められないとしても、喜之助は昭和一六年三月一三日になされた寿美夫に対する贈与を承諾したのであるから、右喜之助の包括承継人たる被控訴人において控訴人らの登記の欠缺を主張することは信義則に反し許されない。

六、再抗弁に対する認否

再抗弁(一)の主張のとおり、被控訴人が松之助の地位を承継したことは認めるも、訴外寿美夫への贈与の点および第三者たり得ないとの点は争う。

同(二)は争う。

七、請求原因(二)1本件建物の貸借契約解除によるもの

(一)  控訴人らの父寿美夫は昭和三九年ころ被控訴人に対し、期限を定めず賃料月額二、〇〇〇円で本件建物を賃貸した。しかるに被控訴人は、昭和四二年ころから、前述の如く本件建物は自己所有のものであると称して抗争し、以来賃料を全く支払わず、これら一連の行為は、賃貸借関係の継続を著しく困難ならしめる不信行為というべきである。そこで亡寿美夫の相続人として右賃貸人の地位を承継した控訴人らは、昭和四五年八月一〇日の本件口頭弁論期日において、右賃貸借契約を即時解除する旨の意思表示をした。

(二)  仮りに賃貸借契約がないとすれば、訴外亡寿美夫が被控訴人に本件家屋を無償貸与したものである。即ち昭和二七年ころ、被控訴人がその父たる訴外喜之助と不仲で同居に耐えられない事情にあつたのに同情して貸し与えたものであるところ、その後すでに十数年を経過しており、右は民法第五九七条二項但書にいわゆる使用および収益をなすに足るべき期間を経過したものというべきであるから、右寿美夫の地位を承継した控訴人らは、昭和四五年八月一〇日の本件口頭弁論期日において、右使用賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

八、請求原因(二)に対する認否

昭和三一年ころまで本件建物を無償で使用していたこと、および各解除の意思表示がなされたことは認めるが、その余は否認する。

第三、証拠〈略〉

理由

第一、関係者の身分関係、相続関係

本件建物は、もと訴外亡打越松之助が所有していたこと、現在登記簿上本件建物が亡松之助名義であること、同人が昭和一三年二月一日法定の届出により隠居し、訴外亡打越喜之助が家督相続をしたこと、亡松之助が昭和三二年九月二〇日死亡し、喜之助、寿美夫外数名が共同相続人としてこれを相続したこと、右喜之助は昭和三九年一一月六日死亡し、被控訴人外六名が同人の相続人となつたこと、は当事者間に争いがなく、訴外亡打越寿美夫が昭和四三年九月三日死亡し、控訴人ら三名が右寿美夫の共同相続人となり相続分三分の一の割合で平等相続したこと、主要な本件関係者の親族関係が別紙のとおりであることは、被控訴人において明らかに争わないから、これを自白したものと見做す。

第二、当裁判所が認定した事実の概要

〈証拠〉を総合すると次の事実を認めることができる。

1  松之助は前記隠居に際し、本件建物を含む不動産その他の資産の大部分を自己の支配下に残して事実上留保したのであるが、法定の確定日付ある証書による財産留保の手続をしなかつた。その結果、全財産は法律上は家督相続人たる喜之助が承続し、所有権を取得するに至つたのであるが、松之助に随伴して分家した寿美夫その他の子供達も又親族も、右のように松之助が事実上留保した財産は法律上も松之助の所有に属するものと考え、何ら疑義をもつていなかつた。(もつとも、かかる事実からすれば、松之助と喜之助間にいわゆる「財産留保契約」が黙示的になされたのではないかとの点を、検討する余地があるが、控訴人においてこの点の主張がないので触れないこととする。)

2  しかして、右喜之助は身持が悪く、家業も真面目に営まずに放蕩しており、そのまま放置すれば財産をことごとく売払つて同家の身代を危うくすることにもなりかねなかつたので、松之助は、姉婿の訴外楠本磯次郎、娘婿の訴外高地岸松らと協議のうえ、前記の如く松之助が事実上留保していた財産を子供達に分配してしまうことにした。そして、昭和一六年三月一三日ころ、親族会決議(甲第一号証)の形式で、不動産については竹之助、幸四郎、被控訴人に各一軒の建物を贈与したほか、本件建物を含む大部分の建物および田畑を、事実上松之助のあととりになつた寿美夫に全て贈与するとともに、同人に松之助の全債務を引受けさせた。(喜之助に対しては、その前に最も広い住宅一軒を贈与していたが、同人がその後売却しようとしたので、松之助がこれを買戻した。)

3  右のように、他の資産とともに本件建物を贈与された寿美夫は、その前年ころからこれに入居していた妹の訴外岡本サワエおよびその夫である訴外岡本重和の夫婦にその後も無償でこれを使用させることとし、右岡本夫婦もかかる寿美夫の好意を受け入れ、昭和二九年ころまでこれに居住していた。

4  昭和二七年ころ、被控訴人は、その父喜之助と不仲になり、同居に耐えられない状況に陥つたところ、かかる事情に同情した岡本夫婦は、本件建物に被控訴人を同居させることになつた。

その際、寿美夫の妻フミエは、普段から被控訴人とは不仲であつたところから(その主たる原因は、被控訴人がフミエの妹てる子と通じ訴外打越武雄をもうけたが、てる子と結婚せず、その子武雄をフミエ夫婦に養育させ顧みることがなかつたためと推測される。)被控訴人の入居を快よく思つていなかつたが、やむなくこれを認め、寿美夫も甥である被控訴人の立場に同情して入居を認めた。

5  昭和二九年ころ、被控訴人は現在の妻政子と結婚し(届出は翌三〇年六月三〇日)、引続き本件建物で生活することになつたが、二組の夫婦の共同生活を気づまりに思つた岡本夫婦は、そのころ、本件建物より退去して別に居宅を構えるに至り、被控訴人夫婦のみが本件建物に居住することになつた。そして寿美夫は、以前同様かかる被控訴人の本件建物使用を黙認していた。

6  その後、寿美夫は、その経営する事業が不振となつたので、本件建物の裏に古材木を利用してアパートを建て他人に賃貸すると共に、被控訴人に対しても従前のように無償で本件建物を貸しておくわけにもゆかないとして、賃料を支払つて欲しい旨申込んだところ、被控訴人もこれを承諾し、昭和三四年ころから月額二、〇〇〇円の賃料を支払うようになり、昭和四二年ころまで継続して支払つてきた。

7  昭和三六年ころ寿美夫は、事業がますます不振に陥つたので、妻フミエ、子の控訴人らとも相談の上、本件建物を含む不動産および豚小屋、豚等の売却方を訴外高地岸松外二名に依頼した。そこで、右高地岸松は被控訴人に対し本件建物を買取つてくれるよう交渉したが、被控訴人はこれを拒み、豚および豚小屋のみ代金二六万円で買取つた。更に寿美夫はその居宅(前示松之助が喜之助から買戻した家で現熊本医院の建物)をも売却して負債の整理に当て、本件建物に隣接する牛小屋を改造してこれに入居した。

8  昭和三六年度までの本件建物の固定資産税は寿美夫が納めていたが、昭和三七年度から昭和四〇年度までの分は、右のように経済状態の悪化している寿美夫に代り被控訴人がこれを納付した。(昭和四一年度以降は非課税物件になつている。)

第三、喜之助の家督相続、寿美夫に対する贈与、被控訴人に対する贈与について

一、松之助が昭和一三年二月一日法定の届出により隠居し、同人の長男である喜之助が家督相続をし、その結果本件建物を含む全財産を承継取得したこと、そして昭和三九年一一月六日の同人の死亡により被控訴人外六名が喜之助の共同相続人として遺産相続したことは、既述のとおりである。

二、昭和一六年三月一三日寿美夫が松之助より、他の財産と共に本件建物を贈与されたことは既述のとおりであり、これに反する証拠はない。そして昭和四三年九月三日同人が、死亡し、控訴人ら三名が、かかる寿美夫の地位を承継したことも既述のとおりである。

三、昭和三一年ころ、松之助が本件建物を被控訴人に贈与したとの被控訴人の主張はこれを認めることができない。

1  〈証拠〉によれば、昭和二四、五年ころ、松之助が寿美夫の同意を得て、五女岩本たかえに建物一棟を贈与していること、被控訴人は、本件建物に入居後自費で柱七本を取替えたり、便所を新設したりしていること、昭和三六年ころ寿美夫は居宅を手離し、住居に困つて牛小屋を改造するような状態に陥りながら、被控訴人に対して本件建物の明渡等の請求をしていないこと、が認められ、又既に認定したとおり、昭和三七年度から四〇年度までの本件建物の認定資産税は、被控訴人が納めていることもあり、これらを勘案すると、一応松之助が被控訴人に対し本件建物を贈与することもあり得ることだとも考えられる。

2  しかしながら、原審において被控訴人が、昭和三一年ころ、松之助が寿美夫の妻フミエとともに被控訴人方を訪れ、本件建物を贈与する旨告げ、フミエもこれに同意したと述べるところは、右フミエが被控訴人とは不仲であつたこと、および前記認定の昭和三六年ころ、寿美夫らが本件建物の処分を訴外高地岸松外二名に委ねている事実及び以下説示するところに照らし、これを信用するに躊躇せざるをえない。(もつとも、叙上経過からすれば、松之助が孫である被控訴人の住居の安定を配慮して、被控訴人に対し、本件建物に安心して住んでもよい趣旨の話をし、当時松之助は事実上の留保財産につき支配力を持つていたことは前記認定のとおりであるから、被控訴人が本件建物に安心して住むことができるものと考えたと推測できないこともない。しかし、はつきり法律上の贈与であると認めるには証拠価値が薄弱である。)

3  岩生たかえに対する贈与は、昭和一六年の財産分けに際して、同女には不動産は一つも与えられていなかつたことから、松之助が寿美夫の同意を得た上でこれを与えたのである。しかるに、被控訴人は既に昭和一六年の財産分けに際して、松之助から建物一棟を贈与され所有権を取得しているのに、既に寿美夫に贈与してある本件建物をを、同人に相談もせず、同意も受けないで、二重に被控訴人に贈与することは、いささかおかしいし、殊に被控訴人の供述によれば、右贈与は、松之助が立話しで口頭でしたという以外に書面もなく、これを見聞した人もいないことが認められ、登記をしていないことも前示認定のとおりであつて、昭和一六年の贈与が親族会決議の形式で、きちんとした書類でなされていることに照らし、腑におちないところが多い。

次に、柱七本の取替え等の工事については、確かに建物の重要な部分に関する修理であるが、本件建物は、昭和四一年以降は課税物件から外されている位であるから当時もすでにかなり老朽化していたことが窺われ、これに居住するためには右の程度の修理も必要である。しかし無償もしくは低廉な賃料で貸借されている場合、借主である居住者の負担で右程度の修理がなされることは間間あることと考えられるところ、後に述べるように被控訴人入居の初期には使用貸借、後に昭和三四年ころに至つて月額二、〇〇〇円で賃貸借契約が締結されたと認められるので、被控訴人が自費で右修理をしたとしも、特に異とする程ではない。

次に、昭和三六年の居宅売却後寿美夫が被控訴人に対して明渡を求めなかつたのも、右のような貸借関係が存していればこそであるとも解し得るし、又昭和三七年度以降の固定資産税の納付の点も、既に認定したとおり、低賃料で本件建物を賃借していたが故に、被控訴人が負担することになつたと解することができる。(仮りに被控訴人主張の昭和三一年の贈与が認められるとすると、昭和三六年度までの、本件建物の固定資産税を控訴人方で納めていた理由を説明できない。)

結局、被控訴人の受贈を推定させるかの如く思われた事実は、いづれもかかる贈与の存在を証するには不十分である。

四、対抗問題についての判断

1 本件建物は、第一に昭和一三年二月一日松之助の隠居による家督相続開始により喜之助がこれを家督相続し、第二に右隠居後である昭和一六年三月一三日松之助から寿美夫に贈与したもので、共に所有権移転登記をせず、現在も登記上亡松之助の名義のままであることは前説示のとおりである。

2 しかるに、生前相続も贈与もともに民法第一七七条にいう「物権の得喪」にあたるので、相続人および受贈者は、所有権移転登記を受けない限り、同条にいういわゆる「第三者」に対抗できないわけである。そこで、第一に喜之助の家督相続による本件建物の所有権取得につき寿美夫は右にいう「第三者」に当ると解すべきである。けだし、松之助は右家督相続で本件建物の所有権を失うが、家督相続による所有権移転登記をしない以上、家督相続人たる喜之助以外の者に対する関係では、いまだ所有権者である地位を完全に失つたものとはいえないので、寿美夫に対し法律上有効に贈与することができ、寿美夫はその受贈者として喜之助の右登記の欠缺を主張する利益を有するからである。

第二に、寿美夫の受贈による本件建物の所有権取得につき喜之助は右にいう「第三者」に当ると解すべきである。けだし、喜之助は、松之助から家督相続によつて本件建物の所有権を取得しているので、寿美夫の右登記の欠缺を主張する利益を有するからである。

ところが、松之助は喜之助に対しては家督相続の被相続人、即ち右相続による所有権変動の当事者であり、寿美夫に対しては贈与者、即ち贈与による所有権変動の当事者であるから、右両名に対する関係では前記「第三者」にあたらない。従つて喜之助も寿美夫も松之助に対しては自己の所有権を登記なくして対抗できるわけである。(もつとも、喜之助は単独で家督相続の登記ができるので、当時単独で本件建物につき登記をしておけば、寿美夫はその受贈による所有権取得を喜之助に対抗できないのに対し、喜之助は寿美夫に対し家督相続による本件建物の所有権取得を対抗できることに確定した筈である。)

3 しかるに、松之助は昭和三二年九月二〇日に死亡して遺産相続が開始し、喜久之助および寿美夫は共同相続人として、松之助の資産、負債その他の法律上の地位を承継した。(喜之助が松之助の遺産相続を適法に放棄しておれば、家督相続だけが残り、しかも家督相続の登記は喜之助が単独ででき、その結果、寿美夫の受贈を喜之助に対抗できないので履行不能となつて、喜之助が本件建物の完全な所有権者となる。)

その結果、松之助の寿美夫に対する贈与者即ち贈与による所有権変動の当事者たる地位及びこれに基づき寿美夫に対し所有権移転登記をなすべき贈与契約上の債務は、喜之助も寿美夫も右遺産相続の相続分に応じて承継する理である。それ故、喜之助は、松之助、寿美夫間の贈与については、「第三者」たる立場と右相続分の限度で贈与者即ち当事者たる立場とが併存することになる。

元来、松之助、寿美夫間の贈与につき家督相続人喜之助を「第三者」とするのは、隠居による家督相続があつたにかかわらず、相続財産たる不動産の登記名義が隠居者松之助に残つている場合、松之助がその不動産を有効に第三者に処分することができ、その結果二重売買と同じような関係が成立するので、第一の譲受人と同じような地位にある家督相続人喜之助を保護するためである。ところが、隠居者松之助が死亡して遺産相続が開始すれば、もはや松之助による新たな処分行為はあり得なくなるので、将来に向つて喜之助の立場を保護する必要はなく、既になされた寿美夫に対する贈与については、贈与者松之助の贈与者たる地位を喜之助が相続分に応じて承継し、喜之助は寿美夫に対し現実に贈与を履行する義務を貞うに至る。(松之助に遺言執行者がある場合は、現実には遺言執行者がこれを履行する)そうなれば右贈与につき喜之助を「第三者」として保護すべき必要がその限度でなくなるわけである。

これに反し松之助の喜之助に対する家督相続の被相続人すなわち相続の「当事者」たる地位を、寿美夫が相続分の限度で承継するか否かについては、右贈与と同日に論ずることができない。元来、家督相続による相続登記は、たとえ生前相続であつても相続人が単独でできる以上、喜之助は本件建物につき単独で前記相続による所有権移転登記ができる。それ故、松之助は家督相続人である喜之助に対し、所有権移転登記をなすべき債務を負担していない。松之助が死亡しても、寿美夫は、本件建物につき、承続すべき所有権移転登記債務がないわけである。しかし、松之助は家督相続の被相続人すなわち相続の当事者たる地位にあるので、この地位を寿美夫が遺産相続によつて相続分の限度で承継するともいえる。それと共に、喜之助の家督相続について寿美夫が前記のとおり「第三者」にあたるとしたのは、松之助生存中は松之助から贈与による所有権移転登記を受ける権利があるので、この地位を保護するためであるところ、松之助が死亡した以上、この所有権移転登記債務を右の如く遺産相続によつて相続人たる喜之助が承継したので、寿美夫が喜之助に対し、右贈与による所有権移転登記を請求できるならば、寿美夫を右「第三者」にあたるとして保護する必要がなくなるわけである。

本件において、仮りに喜之助も寿美夫も相互に登記なくして家督相続による所有権取得および贈与による所有権取得を相手方に対抗できないと解釈すれば、(イ)喜之助は松之助の生存中であると否とにかかわらず、自ら単独で家督相続の登記をして対抗要件を具備することもできるし、松之助死亡後は遺産相続を放棄して松之助の贈与者としての義務を承継することを免れることもできた筈であり、(ロ)これに反し、寿美夫は、松之助生存中は、右登記を具えることができても、松之助死亡後は、喜之助の協力がない限り同人の相続分の限度では右登記を具えることができないので、事実上対抗要件を具えることが不能となり(この点遺言執行者などのある場合は異る)、(ハ)松之助死亡による遺産相続によつて、喜之助と寿美夫が本件建物について承継する地位は、喜之助が贈与履行債務を伴なうに対し、寿美夫は何らの債務を引き継がないので、喜之助の方が重いにかかわらず、有利になるという結果になる。

従つて、松之助死亡後は、同人の遺産の共同相続人である喜之助と寿美夫に対し、前記1の「第三者」としての保護を与えなくても民法第一七七条の決意にもとるものではなくなるのである。

4 以上のことから本件では次のように解するのが相当である。

家督相続および遺産相続の被相続人松之助が死亡すると、喜之助は遺産相続によつて松之助の贈与者の地位及び贈与による所有権移転登記債務を、その相続分の限度で承継するため、その限度で右贈与についての「第三者」たる地位に伴う保護をうけられなくなり、寿美夫はこれによつて喜之助に対し、右贈与による所有権取得を喜之助の相続分の限度で対抗することができると共に、その限度で所有権移転登記を請求することができることになる。しかし、他面、喜之助は単独で家督相続による所有権移転登記ができることは勿論、松之助死亡後は、寿美夫に対し登記なくして家督相続による所有権取得を対抗できることになる。結局、喜之助死亡後は、右贈与者としての債務を承継し負担する状態で、家督相続による所有権取得を登記なくして寿美夫に対抗できる結果となる。

5 しかして、被控訴人は相続分の限度で喜之助の右地位を承継しており、控訴人らは共同して寿美夫の右地位を承継しているので、控訴人らは相続分に応じ持分各三分の一の割合で、本件建物に関する右権利(喜之助の相続分の限度で右贈与による本件建物の所有権取得を登記なくして対抗でき、その限度で所有権移転登記を請求できる権利)を承継取得したものといわねばならない。

6  なお、控訴人らは喜之助が当時右贈与を承諾したのでもはや、登記の欠缺を主張できないと抗争するが、喜之助の右承諾を認めるに足る証拠もなく、かりに、承諾があつたとしてもそれだけで当然民法第一七七条にいう「第三者」としての保護を失うものでないから理由がない。

第四、寿美夫の時効取得について

一、既に取べたとおり、寿美夫は昭和一六年三月一三日に松之助より本件建物を贈与された後、これを以前同様、妹の岡本サワエ及びその夫である岡本重治に無償で使用させることとし、右岡本夫婦は昭和二九度ころまでこれに居住していた。そしてその後昭和三四年ころまでは、被控訴人夫婦が同様に無償でこれを使用していたが、寿美夫はこれを黙認していたことも既述のとおりである。

従つて、寿美夫と岡本夫婦、および被控訴人間には、明示もしくは黙示の使用貸借契約が成立していたと解するのが相当である。

二、昭和三四年ころ、事業不振で金銭的に窮していた寿美夫は、それまで無償で本件建物を使用させていた被控訴人に賃料を支払つてほしい旨申し込んだところ、被控訴人はこれに応じてそのころから月額二、〇〇〇円の賃料を寿美夫に支払うようになり、その後昭和四二年ころまで継続して支払つていたこと既述のとおりである。

かかる事実によれば、昭和三四年ころ、寿寿夫と被控訴人の間で、本件建物につき右使用貸借契約を改め、賃料月額二、〇〇〇円とし、賃貸借期限を定めないで、新たな賃貸借契約が成立したと解することができる。

もつとも、被控訴人は、右月額金二、〇〇〇円の金員は被控訴人と寿美夫の妻フミエの妹てる子の間にできた婚姻外の子打越武雄が寿美夫方で養育されていたので、これに対する養育料として支払つたのであると主張する。しかしながら〈証拠〉によれば、被控訴人は、寿寿夫宅とは隣り合わせの本件建物に居住していながら、実子武雄に対して親としての愛情ある行為を何らしたことがなく、又その妻政子においても右武雄を無視していたことが窺われるので、かような養育料を月々きちんと支払つていたというのは、にわかには措信しがたく、また前記二、〇〇〇円の金員は、寿美夫方経営のアパート賃料受領のための控えの帳簿(甲第五号証の一ないし三)に記入されていて、該帳簿には賃料以外の記載はないこと、昭和四二年ころ被控訴人が訴外打越幸四郎に対して、本件建物のような古い家にも自分は賃料を支払つている旨述べている事実、が認められ、かかる事実にてらすと右金員を養育料だとする原審における被控訴人本人尋問の結果および当審証人打越政子の証言を採用することはできない。

三、以上によれば、寿美夫は昭和一六年三月一三日より昭和二九年ころまでは訴外岡本重治夫婦を、その後昭和四二年ころまでは被控訴人を占有代理人として本件建物を占有してきたと認めることができる。

四、ところで控訴人らは、右寿美夫は昭和一六年三月一三日松之助より本件建物を贈与されたとき、本件建物の所有権を完全、有効に取得したと信じ、かつそのように信ずるにつき過失がなかつたと主張する。既述のとおり寿美夫をはじめ松之助の子供達や親族が、本件建物を含む不動産について、松之助の隠居後も引続き同人の所有に属するものと信じ、疑念をもつていなかつたので、寿美夫の本件建物占有も、その開始のとき善意であつたと認めることができる。

しかしながら一方、寿美夫は、松之助の隠居により家督相続が始まり、喜之助が家督相続人となつて(法定の手続をとつて財産を留保しないかぎり)法律上隠居者の全財産を承継取得することになることも社会生活上知らねばならないことであるし、調査すれば知り得べきことであるから寿美夫は、本件贈与により完全な所有権を取得したと信ずるについて過失があつたものと解すべきである。

従つて、寿美夫が昭和一六年三月一三日本件建物の占有を開始してから二〇年を経過した昭和三六年三月一三日、取得時効が完成したことになる。そして右寿美夫の相続人たる控訴人らが昭和四五年一〇月六日の本件口頭弁論期日において、これを援用したことは訴訟上明らかであるので寿美夫は昭和三六年三月一三日本件建物の所有権(但し前述の、寿美夫が受贈によつて取得した所有権を被控訴人に対抗できる限度を除く)を取得し、その相続人たる控訴人らが共同相続によつて、持分各三分の一の割合でこれを承継取得したものといわねばならない。

五、もつとも、被控訴人は、昭和三一年六月ころ、松之助より本件建物を贈与され、以後自己のため、所有の意思をもつてこれを占有し、かつ占有を開始するに際し善意無過失であつたから、短期取得時効が完成し、本件建物の所有権を取得したと主張する。

しかしながら、前述のとおり被控訴人主張の贈与の事実は認められず、かえつて昭和二九年ころから昭和三四年ころまでは使用借人として、三四年以降は賃借人として、本件建物を占有していたと認められるので、右主張はこれを認めるに由ない。

もつとも被控訴人の取得時効の抗弁は、自主占有の開始を主張する点において、寿美夫の時効の自然中断(占有の過失)の主張を含むと解することもできる。

そして〈証拠〉によれば、昭和三二、三年ころ高畑が寿美夫に依頼されて、家賃二、〇〇〇円を支払つて貰いたい旨の交渉をすべく被控訴人方へ赴いたとき被控訴人に「自分の家なのに賃料を支払う必要はない」とどなられたというのであるが、前示の如く被控訴人が昭和三四年ころから賃料二、〇〇〇円を支払つていたことにてらし採用できない。

第五、賃貸借契約解除について

一、前記認定の本件建物の賃貸借につき、被控訴人はこれを抗弁として主張していないが、被控訴人の主張するところは、本件建物につき適法な占有権原を有することであるところ、控訴人らが前示所有権時効取得の根拠として先行的に右賃貸借の存在を主張し、かつ、これらの事実が証明せられた以上、控訴人らはこの賃貸借が現在では消滅していることを主張立証しなければ、控訴人らに対し、本件建物の明渡を請求できないと解すべきである。

二、しかして、右賃貸借契約の賃貸人の地位を寿美夫より承継した控訴人らが、昭和四五年八月一〇日の本件口頭弁論期日において、昭和四二年以降の賃料不払等を原因として右賃貸借契約を、即時解除する旨の意思表示をなしたことは訴訟上明らかである。そして右昭和四二年以降の賃料を支払つているとの主張立証はない。

三、そこで右解除が有効か否かについて判断する。

叙上の如き事実関係よりすれば、松之助生存中は、同人が本件建物につき事実上の支配力をもち、本件建物の法律上の権利の帰属関係について、喜之助、寿美夫、被控訴人をはじめ親族の者も、それほどはつきりした法律的意識がなく、いわば親子兄弟間の相互扶助的な意識・慣習によつて処理されてきたところ、松之助が死亡し、寿美夫の事業の失敗、ついで喜之助が死亡するに至つて、寿美夫の被控訴人も、法律的にこれを処理せんとする意識にめざめてきたものと解することができる。しかるに本件建物の所有権帰属関係は、前述のように極めて複雑難解であるので、これに対し公権的判断によつて明確になるまでは、被控訴人において自己に占有権原ありと考えるのも無理からぬものがある。それ故、控訴人らが右複雑難解な権利関係が争われている本訴の口頭弁論において、取得時効の援用前、すなわち所有権の時効取得を被控訴人に主張できない段階で前示の如く昭和四五年八月一〇日、何らの催告をせず、いきなり契約解除の意思表示をし、その後、同年一〇月六日右取得時効を援用したのであるから、右解除は法律上その効力を生じないと解するのが信義則上相当である。

第六結論

以上のとおりであるから、その余について判断するまでもなく、本件建物は、現在控訴人ら三名が持分各三分の一の割合で所有していることになるので、これが確認を求める請求は理由があり、本件建物の明渡請求については、控訴人らと被控訴人との間には、賃貸借契約が現に存在しているのであるから、理由がないといわねばならない。

従つて、本件控訴は右の限度で理由があるので、原判決は、これを変更し、控訴人らの所有権確認請求は、これを認容し、明渡請求はこれを棄却し、訴訟費用につき、民事訴訟法第九六条、第九二条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(伊藤利夫 塩谷雄 宮森輝雄)

物件目録〈省略〉

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